茶の間とは:個人的な所感、なんでもないような物事を綴るミニエッセイの場です。
茶の間2026/08/07

あら何ともなや

あら何ともなや昨日は過ぎて河豚汁

松尾芭蕉の句だ。高校の現代文で習ったのだが、先生の解説が印象的だったためよく覚えている。(他には何を習ったのだかほとんど忘れてしまった。)
「あら何ともなや」の部分は本来上五なので、実に三字分字余りである。上五の部分に八字詰め込むとなると、気持ちとしては「アラナントモナヤッ! きのうはすぎて、ふくとじる」というようになる(そのように表記されたわけではないけれども、先生の言い方がこんな感じだった)。字余りによって感嘆を強調し、そして相対的に中七・下五がゆっくり読まれることで「毒に中らなくてよかったなあ」という安堵を示す効果が出る。
そのことを先生が繰り返し句を声に出して読んで強調したので記憶に残った。なるほど確かに、速さがそのような効果をもたらすのだな、よくできているなあと納得した。
一字一字の存在感、そして区切り方が作り出す速度のメリハリとリズム。そういったものに意識を向けた芸術というものがあって、そのような感覚に鈍感でいてはいけないのだ、と思った出来事だった。

ちなみに芭蕉は次のような句も詠んだらしい。

河豚汁や鯛もあるのに無分別

あまり風流とは思えない句でちょっと笑ってしまった。本当に芭蕉が詠んだのだろうかと首を傾げたくなる。
なお食にうるさい北大路魯山人はこの句をコテンパンに叩きのめしている。

北大路魯山人 河豚のこと

小生などから見ると、芭蕉はふぐを知らずにふぐを語っているようだ。他の句は別として、この句は何としても不可解だ。

ほんとにそう。芭蕉の頃の時代背景によっては納得しうるものなのかどうか。

ただ、ふぐを恐ろしがって口にせんような人は、それが大臣であっても、学者であっても、私の経験に徴すると、その多くが意気地なしで、インテリ風で、秀才型で、その実、気の利いた人間でない場合が多い。そこが常識家の非常識であるとも言える。

そしてこんなことまで言ってしまうのが北大路魯山人。