茶の間とは:個人的な所感、なんでもないような物事を綴るミニエッセイの場です。
茶の間2026/09/20

知のダウンロードとインストールと軽率さ

自分がずっと考えていたことがその通りに本に書かれている時、本を先に読んでいれば早くそれを「外から知る」、そして「納得した気持ちになる」ことはできたわけだが、自分が考えて辿り着いたことは「聞きかじった」ようなのとは全く異なるレベルで自分に染みついているわけで、言葉として外から簡単に入手できたとしてもその「染みている感じ」は結局同じだけ考えなければ得られないだろうと思う。ダウンロードは簡単だがインストールは時間がかかる。

どうせ時間がかかるのだから、人の話で知ったほうが偉いとか賢いとかいうことはなく、自分が生み出して辿り着いたものでも構わない。それが正しいかどうかも、人の話だろうが自分の思索だろうがどうせ問い続けなければいけない。
人の話をちゃんと見聞きしたほうがより多くのことに着実に触れることができるから、飲み込めるものが増えるのは確かだ。しかし時には自分で考えたほうが早いこともある。全てのことを人の話で賄うべきと思う必要はない。人の話依存は謙虚さとイコールではなく、自分の思考の省エネに過ぎない場合もある。


ところで、誰かが何か浅はかな物言いをしたとして、自分の軽率さをごまかすためにそれを指摘してきた人間の方を軽率だったことにする、ということを頭のいい人たちは割とよくやるが、それってどこから来るあれなのかなと考えると、このダウンロード/インストール問題なのではないかなと感じている。
インストールできていないことが軽率さを生み出しているが、ダウンロードできていないこと(=勉強不足)を指摘されたと思って、自分はこんなにダウンロードしているしお前もダウンロードしろと言い始める。何が問題で何に屈辱を感じて何を反撃したことになるのか本人がわかっていない感じがある。足りていないのは勉強ではなく慎重さと想像力である。
イメージを容易にするために「頭のいい人たち」がよくやると言ったが、これは別に「頭のいい人たち」に限った問題ではなく、私も含めて誰しも陥る。

もうひとつ思うことがある。
人の話に対して反応速度が早すぎる人は「ダウンロードだけで喋ってるな」という感じがする。今までの己の思考の履歴と照らす工程を踏むならその早さでは反応できないのではないか。
まあもしかしたら最先端のスパコンみたいなものが頭に入っているのかもしれない。しかしそういう速度で返す人が相手に対する「とても深い理解」を感じさせることはあまりない。大体どこかしら外している。
元々同じことを考えていて「そう!それ!」というテンションで乗るという状況なら返答に一秒も要らないことはあるが、自分と違う考えに対しても即座に返せると判断するのは、自分の知性の過信がそこにあるように思われる。