カオス極まるゲームノート、あるいは読書メモについて
子どもの頃、ゲームで遊ぶ時はよくノートを作っていた。
攻略本の記述やデータを引き写したり、ゲーム内のステータスを書き取ったり、その後の計画を練ったり、あるいはキャラクターやモンスターの絵を描いたり、ゲームの設定を他のコンテンツのキャラクターに当てはめたり、色々なことを書いていた。
で、いま便宜上「ノートを作っていた」と表現したのだが、「ノートに書いていた」と言ってイメージする姿形はしていない。発掘して整理した時に自分で呆れてしまったが、これがもうありとあらゆるサイズ、ありとあらゆる種類の紙に書いているのである。当時家にあった紙をなんでもかんでも使ったのだろう。記憶にあるだけでも以下のくらいのパターンがある。
- 綴じノート
- 大学ノート
- キャラクターもの
- 方眼ノート
- 「さんすう」ノート
- 古いスケジュールノートの再利用
- ルーズリーフ
- A罫、B罫
- B5
- B5を半分に切ったB6
- A5
- 方眼罫
- ドット罫
- その他独特な罫のもの
- A罫、B罫
- 紙切れ
- メモ用紙
- レポート用紙、便箋
- 学校で配られた学年通信の裏
- クーポン券の裏など
- 攻略本に載っていたテンプレートのコピー
- カード
- 方眼カードを用途に合わせて切って多種多様な形状にして使用
しかも、ありとあらゆるゲームについてこれらが混在している。この時期はこれ、ではなく、ほぼ全ての時期でどのゲームについてもめちゃくちゃに入り混じっている。
保管の状態もめちゃくちゃで、バインダーに綴じたりリングでまとめたりクリップで留めたりクリアファイルに挟んだりただ折ったりケースに入れたりチャック付き袋に入れたり攻略本に挟んだりしていた。
なお大小合わせれば誇張でなしに1000ページくらいあったと思う。少なくとも800あったのは確認している。この調子でその量だからカオスそのものである。
驚くべきは、当時の自分はこの状態を特に気にしていなかったということだ。今の自分の感覚で見れば、考えなしの無秩序加減に「キーッ」となる。(ちなみに勉強用のノートは打って変わってきちっと規格を統一して整然と整理していた。)
……と思ったものの、しかしよく考えると割と最近まで似たようなことをやっていたのだった。Blueskyでは何度か呟いているし記事でも何回か書いた気がするが、例えば読書メモはありとあらゆる形式で作っていて後から困ったことになっている。読み物として使い物にならないので最近B5大学ノートにわざわざ書き写して統一を図っている。
この行き当たりばったり感と、しかもそれを気にしていないという状態は何なのかと考えると、これらがあくまで「今必要なメモ」であったことによるのだと思う。読み返すことははなから考えていない。今ゲームをやっている間、必要な情報を把握しておければいいのである。ゲームを進めることが大事だから、見た目の美しさや統一感といったものはほとんどどうでもいい。情報の形にマッチしていることの方が重要で、情報依存で種々雑多な形式の記述が発生する。
読書メモも実はそうだ。後から見やすいようにと一応考えたつもりで小手先の工夫はしていたが、実際は大部分が「今、本を理解するため」のメモに過ぎない。読んだ瞬間の脳と心の動きだけに従って書いていて、「読み物」を作る意識は全くなかったのである。それゆえに月日が経つと意味が分からなくなる記述がちらほら混じっている。
読書メモについてはどういう目的で作るかによるので何が良いとかどうすべきとかいうことは言えないが、とりあえず読み返すものを作りたいなら決まった規格で淡々とやっていったほうがいい。私たちがどの出版社のどの著者の本も普通に読めるのは本というものが決まった規格で作られているからであろうし、自分が自分のために作る読み物もそのようにして、読むにあたって変な負担を強いないようにするのが正解だろう。
仕事術の文脈でメモの仕方が取り上げられる時は、この種のカオスを戒めるような話がしばしば見られる。個人的に仕事上のメモについては、ひとつのノートの中で書き方が下手、あるいはそもそもメモを取れていない、というパターンだったので、メモそのもののとっ散らかりの話はそんなにピンときていなかったのだが、「メモが必要で、実際にメモを大量に取っている」という状態をコントロールできていない場合に何が起こるかというのは自分の子どもの頃を思い出せばよいのだった。
若年期のノート、かつて読み漁った仕事術、そして今格闘している己の読書メモの形態が、今になって繋がってメモというものの理解を少し深めた感がある。実は「茶の間」の記事として能天気にゲームノートの思い出を語るだけのつもりだったが、書いてみるまで何がどうなるかわからないものである。