八〇対二〇の法則と読書メモ
このところ過去の読書メモをせっせと転記しているが、「八〇対二〇の法則」の話が三回以上出てきた。見かけるたびに全部書いていたというわけではないにしても(本で目にしたのは三回どころではないはずである)、三回は繰り返してメモするくらいには何か納得感があったのだろう。
「八〇対二〇の法則」つまり「パレートの法則」とは、「全体の数値の大部分は、全体を構成するうちの一部の要素が生み出している」という法則である。この法則をどう解釈するかは著者によって微妙に幅があるが、いずれにしても重要な一部を見抜いて上手く仕事をしようという文脈なのは違いがない。パレートがした発見にビジネス上、生活上の体感を安直に重ねていいものかちょっとわからないが、基本的な傾向として何事も「だいたいそういう感じ」ではあるだろう。しかし別に全てに厳密に成り立つルールではないし、宇宙の真理かのように考えるのは行き過ぎに思われる。
ところで、本を読んでいて重要な部分や面白い部分に付箋をつけ、その後ノートに書き抜きをするという時、全部写したいのを泣く泣く厳選して書き写すということになる。
仮に本の記述のうち二割がその本をその本たらしめているのだとすれば、著者の主張と自分の感じた面白さとを全て取り出すとしたらおおよそ二割くらいになってしまうということになろう。実際は一割あるかないかくらいかと思うが、まあそのくらいにはなると言える。
当たり前だが、本全体の一割をも書き写してはいられない。なので泣く泣く厳選するということが発生する。基本的には、本そのものがあるわけだから著者の主張は確認が容易であり、そうではなく自分が個人的に面白いと思ったこと、自分に必要だと心から思ったことを選ぶことになる。
ということで、厳選して読書ノートを作りましたと。そのノートを見返して、より重要な部分に色鉛筆で線を引いたり囲ったりしていく。
そうすると不思議なことに、そこにあるのはあれほど選びに選び抜いて書いた記述であるのに、「そこまで重要ではないかな」と感じる記述が発生し始める。
で、色を付けたところは読書ノート全体の一割から二割くらいになるのである。「全体」が「本」から「読書ノート」に変わったことにより、個々の記述の重要度が相対的に変化している。あるいは「重要」の意味が変わっている。
もちろん、書き抜いてあるから安心して除外できるということはある。本一冊読み返すのは大変だが、多くても十数ページくらいに圧縮されている読書ノートは読み返しはほとんど一瞬で済む。書き抜いたのだから重要であるというのは前提として、その中で向ける意識に濃淡を付けることができる。書き抜かないというのはその記述との再会が現実的でないかもしれないから苦しいのであり、書き抜いてしまえばいつでもすぐ会えるから気楽なものである。
では、「全体」を「各本についての読書ノートの、色を付けた記述群」として、そこからより重要なものを選ぶとする。そうすればまた「そこまで重要ではないかな」という判定が生まれ、一割くらいが残るだろう。その選抜作業をする前まで感じていた重要さとのギャップに首を傾げてしまうが、前提が違うからそれはそれなのである。ともかくそうしていけば今自分が大事だと思っていることは絞られていく。(あくまで「今の自分」の話であることには注意したほうがいいだろう。)
とはいえこれを無限に繰り返せるわけではないだろうし、あんまりやっても「真理であるがゆえに超当たり前な話」だけが残って自分の具体的な生活から離れてしまうからほどほどにしたほうがよさそうだ。「自分の美意識を強いて一言で言うならば」というのを探りたいなら一文が残るまでやってみるのは面白いだろう。
これはパレートの法則とはもう別の話だが、「全体」を任意に設定すれば、それごとに重要っぽい一割二割というのが見出されるものであろう。となるとそもそも「全体」とはなんなのか、自分が何を「全体」と設定したことになるのか、ということの理解が必要になると言える。「全体」次第で、構成要素の粒度も変わってくることになる。
つまり、より抽象度の高いものを集めた「全体」を設定したならば、構成要素は全て抽象的なものになる。その中で厳選したとして、その結果が具体的な生活を導くものとして相応しいかはなんとも言えない。「自分の核にある信念を言葉にしたいのだ」という目的があるならば突き詰めて抽象化していくのが正解になる。
厳選の作業は対象が十分にある限り階層的に継続し得る。その一連の作業はアウトライン・プロセッシングのひとつと言えるだろう。多分明確にアウトラインのイメージを持った方がいいのだが、それはなぜかと言うと、厳選するたびに選ばなかったものを「切り捨てる」だの「削ぎ落とす」だのという印象を持ちかねないからだ。前提として全部大事であって、そのうち「強いて選ぶなら」の作業をしたということを忘れてはならない。アウトラインは畳んで見通しを良くしているだけのことで、別に構成要素を切り捨ててはいない。
なんにせよ厳選する一方ではなく、時折階層を選んで見返すということをした方がいい。本ならば本自体を読み直すことも必要だ。先ほど「今の自分」ということを強調したが、個人の主観による厳選というのはある一瞬の状態の中での話に過ぎず、永久に有効なものではない。
パレートの法則よろしく、いつでも重要なのは全体の一割とか二割なのかもしれない。しかし何がその一割とか二割に入るのかはその時々で多少変化する。それが面白いし、2026年の私は何を大事だと思って、2016年の私が大事だと思ったこととどう違うのかを観察するのも一興である。実際、私は十年以上前の読書ノートを書き写す作業を通じて過去の己との違いを実感している。