箱の中なら漁れる
先日ブローガスト小旅行2026を投稿した通り、ここのところ大量のブログ記事を全速力で読んだのだが、普段はそういうことは全然できない。
基本的に、Web記事の類は日に3本か4本くらいなら読める。それ以上になってくると「まだ読まなきゃいけないのか……」という気分が増してきて、目が滑って読むスピードも落ち、苦労した上に読めていないという感じになってくる。
Web記事の平均的なサイズで言えば、3本や4本というのは大した量ではない。その程度では倦むには早いだろう。集中力を落とす要因が裏に存在している。
ブローガストの記事群をどう読んだか
ブローガストについても途中で辛くなって半端になるだろうなあと最初は思っていたのだが、以下の感じで進めたところ結果的に結構読めた。
- Blueskyで
#ブローガストタグを見る。ポストがかなり多いので全部は無理かもという気がしたが、実際には当たり前だが同じ人が複数回ポストしており、アカウント数はそこまで膨大ではない。2週間分だけ遡り、ポストしている人のサイトに行って8月分の投稿を確認して読むを人数分繰り返すことにした。 - Xで
#ブローガストタグを見る。どれだけ多いかと思ったが、だいたいはBlueskyにもポストしている人だったので案外苦労しなかった。(ただしXの検索は信用ならないのでもしかしたら表示されなかったポストがあるかもしれない。) - noteで
ブローガストで検索する。それほどの量ではなかったのですぐ読めた。 - はてなブログで
#ブローガストタグを見る。ここまでで見かけなかったブログがたくさんあって慌てて(?)読む。
トータルで何本見かけてそのうち何本読んだのかわからないが、先日の記事にちょうど百本くらい列挙しているので、その数倍読んでおり更にその倍は見かけたものの読まないままになっている(時間があれば読んだがそれだと終わらないのでやむなく取捨選択した)となると、千本見かけて三百本読んで百本紹介したみたいな感じだろうか。割合を考えると総数はもっと多いかもしれない。
もしも「千本投稿されているのでなるべく全部チェックしてください」と言われたなら読むのは到底無理である。最初に書いた通り普段のペースだと日に10本も読めないし、単純計算で百日以上かかるやんけという話になる。
つまり、事前の計算(という名の想像)と、実際にやれることの間にとてつもない乖離がある。事実、3日(土日+1日の早朝)で数百本読んでいる。
普段のペースというのは、平日の隙間時間および夜を基準にして、集中力の低下のパターンを計算に入れている。ということは、休日の日中のまとまった時間を使って更に集中力を保てたとしたら全然違う話になる。単純なことだが、しかし「休日の日中のまとまった時間を使って更に集中力を保つ」ということ自体が自分にとって現実的でないとそれを計算には使えない。
特に「集中力を保つ」の部分である。それをコントロールできたら誰も苦労しねえのよという話で、今回はある種偶然にもそれが実現できた。
集中力を保つための「箱」
集中力を保つには、「残りの仕事の多さに圧倒されないこと」が不可欠だと思う。「うわあ、まだこんなにあるのか…」と思いながら集中するのはほとんど無理である。「うわあ」という思いは必ず能率を落とす。気づかず0.7倍速くらいになっていると思う。万人がそうかはわからないが少なくとも私はそう。
したがって「残りの多さ」を認識せずに済ませるか、「圧倒されない」ことが必要だ。総数を知らないこと、「これならいけるな!」と思えること。
前項でわざわざ手順を書いたのはこの話のためで、総数を知らないまま、「これならいける」感じのサイズの仕事を繰り返したことがわかる。
どんなに興味深いブログでも、今読むのは8月の間の記事に限ると決めた。そうするとサイトひとつあたりは最大で31本になる(日に複数本投稿なさっている人もいらっしゃるがそれはごくごく稀である)。参加者の総数がわからないので、31本×…?という掛け算は発生しなかった。ここで掛け算をすると4人で既に最大百本を超えるので圧倒されかねない。
実際は毎日投稿している人はそこまでいないので、平均15~20本くらいだろう。ひとまとまりの仕事を「箱」に入れたとすると、一番小さい単位(=ひとつのサイトにある記事)の「箱」が15本くらいということになる。きっちり全部は読まないで興味にマッチしそうなものをある程度取捨選択すると決めていたから、それなら一回にガッといける感じがある。
一回にいける感じのを、総数がはっきりしないまま(「そこそこあるが、すんごい数というほどではない」くらいの認識で)繰り返していく。やっている間、読んだ記事の数も訪問したサイトの数も一切数えなかった。なので総数はついぞわからない。
Blueskyの「箱」を終えてXの「箱」を終え、noteの「箱」を終え、はてなブログの「箱」を終え、という形で進んだわけだが、Blueskyの「箱」の中にある小さい「箱」の数よりもX以降の「箱」の中にある数が少なかったことで、X以降はほとんど「やったうちに入らない」かのような気分で進んだ。つまり「圧倒される」の逆の状態である。
そもそもこれは楽しい作業なので一般的な仕事にそのまま応用できる話ではないが、楽しい作業であるはずのものを数を考え始めたがために苦しくしてしまうことは割とよくある。
逆算してペース配分を決めるのは賢明だが、それは「自分の思うままにやると間に合わない」ということが前提にある。逆算とかせずにやれるならその方が楽だ。というか、最高速度で作業できる方法があるとしたら、それ以上速くはならないのだから、ペース配分を考える必要がそもそもないということになる。
箱の中なら漁れる
集中力の話をしたが、それとは別の話として、単純に「読む範囲が見えているから(それが現実的な範囲なら)読める」ということがある。具体的なラインがあること、その中に含まれるものが現実的な量であること。現実的というのは全部やれるという意味ではなく、「見渡せる感じ」があるということ。
例えば「この十年に投稿された全てのブログ記事」とか言ったらどう考えても無理である。途方もなさすぎて全貌がわからない。やってもやっても終わりが見えないし、全体の雰囲気を知るということすら覚束ない。頑張ったところでまともな成果が出そうもなければやる気もなくなる。
他の例で言うと、投稿プラットフォームの類は、誕生とともに参加すると非常に積極的な態度で楽しめるが、だいたい途中で熱意がしぼんでくる。それはプラットフォームに成長がないか、成長しすぎたことによる。参加者が増え、もはや全体がわからなくなってきたとき、スーッと熱が冷めていく。(これは人による話で、逆に冷めるどころかもっと燃える場合もあるだろう。)
何かに対する「追いつけている感じ」を「全貌を把握できていること」を根拠にしていると、全貌が把握できなくなってきた時点で「追いつけない」と感じて足を止めてしまう。よく考えると別に全貌を把握できている必要はないはずだが(「トレンド」と「全貌」は違うものである)、全体を知っていることによってその場の性格を認識するということをしたいタイプの人間には、全貌のわからなさは主体性を損ねる要因になる。
何かの「全体」が自分が手に負える規模であってくれないとやりにくいならば、「全体」をそのような範囲に設定すればいいわけである。
今回は自発的に設定したわけではなかったが、「#ブローガストタグを付けて投稿している人の、2026年8月の記事」という範囲がちょうど手に負えるギリギリの規模だった。これより広くなると途方に暮れ始めるだろう。
手に負えない規模になると気分としては「大都会に放り出されたちっぽけな人間」みたいなことになる。手に負える規模ならば「箱庭を覗き込んでいる人間」になる。対象との位置関係が全く違ってくるのだ。
自分で「全体」の範囲を決めるということはつまり、自分が対処できるサイズの「箱」をそこに作ることだと言えるだろう。そして「箱」として区切ってしまえば、その中を「漁る」ように見ることができる。ガサゴソやって「箱」の中を十分に確かめた時点で満足ということになる。
果てしない旅は豊かだが心許ない。箱の中を漁るならば満足と達成感、そして安心を得られる。自分を鼓舞する適切な「箱取り」をするのが、読むという活動のコツなのだろう。
一生懸命考えてみても、書き終えてみるとそこにあるのはだいたい普通の結論。それがブログ。