過去の読書メモを写し終えた
6月下旬からやっていた読書メモ書き写し2026がついに終わった。
大変だったが、これで自分の読書履歴はほとんどB5ノートに統一され、すべての記述に「住所」ができ、参照も活用も容易になった。書き方もほぼ統一したので読み返してストレスがない。「パラパラ読む」ということができるようになった。
読書ノートを読み直してみるとそのほとんどを忘れていたことに気がつく。それもそのはず、ノートは取ったがそれをまともに見返していなかったのだから。
何年も前に読んでいて、そこに書かれていたことに真面目に取り組んでいれば今頃どれほどよかったかと思うメモがたくさんある。なんと愚かなことだろうか。書き写しをしていなければその愚かさに気づきもしなかった。おそろしい話である。
本を読んで、そこに書いてあることに納得することは簡単だ。そうできるように著者のほうが工夫してくれている。納得の半分以上は私の力ではなく著者の筆力によると思う。だから納得感に大した意味はない。その時ちょっと賢くなった気持ちがして良い気分になるくらいのものである。
大事な話は、自分に何度も塗り込めて染み付かせなければならない。それは納得感とはほとんど関係がない。自分が納得しようがしまいが、大事ならば塗り込めなくてはならないし、納得感がその作業の代わりになることはないのだ。
書き写したのは百数十冊の本のメモであり、本そのものの再読ほどの威力はないにしても、相当な情報を得直したことになる。読んだ時点の私が抽出した、それなりに濃度の高いものである。今の心境はと言うと、率直に言って情報に溺れている状態だ。しかもこの作業と並行して自分としてはかなり重めの本をいくつも読んでいたので、どう考えても一旦立ち止まって頭の片付けをしないといけない。たくさんの情報を得たのに、整理がついていないせいで何一つ活かせないということになりかねない。
こういう時に、自分の軸・核の曖昧さが露見する。もしもしっかりした幹があるのならば、新たに得た情報はそれにくっつける形で位置づけていけばいい話だ。しかしそれが不確かなので、まず土台を作るところから始めなければならない。いや、土台作りはもう十年以上取り組んでいるのだが、自分を疑ったり解釈のごちゃつきに耐えられなくなったりでリセットしがちで、結局まだできていないという状態だ。ろくろを何度も回し直している。
しかしそろそろ形が見えてきた感もある。それも大片付け2026によるところが大きい。長年のあいだ物質的にブラックボックスが生じてしまっていたことは、精神にも「全貌の見えなさ」をもたらしていた感じがある。それを解消して風通しをよくしたので、脳の血流も変わったようだ。
このような状態なので、しばらくは脳のデフラグの作業が続くだろう。