文章づくりの手つきを絵の描き方で喩えて考えてみる
先日公開されたうちあわせCast第百九十四回にて、ゲストのTak.さんの文章の書き方のお話が印象的だった。
50分あたりから。(敬称略)
Tak. 僕の場合はそもそも大きな塊を一気に出す能力が全くないので、(アウトライナーで)細かい断片、バラバラの断片を組み立て直して大きな塊を作るところから始めてる。そもそもその大きな塊をどんな動機で作るのかも含めて、それを探すところからやってるような気がする。
倉下 この話題をどこに差し込むかということを考える時にはアウトライナー的な操作は結構しますけど。書き始めたらあんまりやりませんが、詰まったらまたアウトライナーに戻るわけですけど。
Tak. でもあれなんですよね、まさに今「この話題はどこに差し込むか」って言われたと思うんですけど、話題単位なんですよね。
倉下 そうですね、話題単位ですね、私は。
Tak. (自分は)フレーズ単位なんですよね。
Tak. もちろん全てのフレーズ、無数にあるフレーズを並べ替えてるわけじゃないんですけど、段落よりかなり細かい、パラグラフよりかなり細かい単位で並び替えてるっていうのは、Re:visionの原稿の修正のやりとりの時にちょっと見ていただいたところがあると思うんですけど。
で、それによって内容が変わるんですよね。で、なんかそれによって内容が変わるっていうのはすごそうですけど、すごいわけじゃなく、逆なんですよね。内容が考えられてないんですよ。
以前にもTak.さんの細切れアウトラインのお話を聞いてちょっと仰天したのだけれども、今回拝聴していて合点がいったような気持ちになった。正確に理解したとはもちろん言えないのだが、イメージが有機的に見えた感じがした。
というのは、Tak.さんのこの「最小単位の様子の変化によって全体像の"その後"が変わる」ような表現行為というのを、他の分野では見たことがあることに気がついたのだ。それは例えば絵画である。
詳しいわけではないが、素人でもわかるくらい絵の描き方は様々あって、事前に綿密に計画を立ててその通りに描くというのもあれば、置いてみた色がもたらす効果を受けて絵の完成イメージがその都度変化していくようなものもある。それは必ずしも即興表現ということではない。完全なる自由とか作為を排した感覚的な創作というのでなくとも、全体の方向性はある程度決まっていつつその中で振り幅があるというのがあり得る。
Tak.さんの文章の成り立ちの様子というのはまさにこの「置いてみた色」がその都度その後を左右していく感じに近いのではないか、ということを思った。既に置かれている色とのバランスや、それが置かれたことによって新たに生まれた「バランスを取りうる色」の可能性によって、文章の内容自体が変化し豊かになっていく感じ。(感覚的に全然違っていたらすみません。)
そう気づいたことで、絵の描き方のバリエーションと同じ程度に文章を書くバリエーションもそりゃあるだろう、ということに納得がいき、また、絵の描き方のバリエーションとある程度類似した形で文章の書き方のバリエーションも存在すると考えられるのではないかというふうに思い至った。つまり、各々の文章の書き方を絵の描き方で喩えられるのではないかということだ。ちなみにTak.さんの文章の書き方には油彩画のような印象を勝手に抱いた。
製図のように計画的にきちんと書く人、デッサンのように何かの形を浮かび上がらせるように書く人、透明水彩のように無駄なく軽やかにさっと書く人、一筆書きのように一気呵成に書く人、クレヨンを無邪気にごしごし塗りつけるように書く人、スケッチのようにシンプルかつ的確な描写を書く人、十人十色の書きぶりがあるだろう。
それぞれのその書きぶりの工程を正確に表現すれば、Tak.さんのお話がそうであったように、そうではない書き方の人間が見聞きした時に一瞬相当独特なやり方に感じられる可能性がある。しかしそんなにすさまじく独特な書き方というのはないのだと思う。おそらくほとんどの人が自分の書き方に細かく意識を向けていないがために、絵の描き方のようにはバリエーションが知られていないだけではないか。私たちの中にある「すごい作家」の書き方のイメージだってなんとなくワンパターンである。本当はもっと果てしなく多様に違いない。
ところで自分自身はどうだろうか。
あまり計画的にはやらないし、書いているうちにどこか適当なところに辿り着くというのが常である。いつも虫眼鏡でズームしている感じもする。鉛筆を一本持ち、全体の構図などは考えず、たまたま目に入ったものをガサガサ描いていき、結果的にそれっぽい陰影ができている、みたいな感じかしら。
自分の書く手順から考えるとそのような感じがするが、読み手の印象はまた違うかもしれない。というよりも、読み手の印象は書き方ではなく「出来上がった絵」の様子を表しているような気もする。実際、Tak.さんの「出来上がった文章」だけを見て「油彩画っぽい」とは思わない(そもそも文章について絵で喩えようという気が起きない)。工程の話を事細かに聞かなければ、書き方の様子というのはおそらく想像自体難しいのだろう。